嫌いの例
親しみやすさの強要を感じることがある
受け入れられているヤツですよ,あたたかみのあるポジティブのシンボルですよっていう感じのやつ
判断してもらうことをすっとばして、通り過ぎていないのに、既に過程を含んで浸透していて、善良で、無害で、無条件に無抵抗に心に侵入させるべきだって、そういう存在になろうとしてるやつ、いる(と感じる)
1つずつ、反発もすりゃ好感もつこともある、その実際を経ずに、用意された物語と、反射的な記号の組み合わせで、
"そうあるべき"ものとしていつのまにか君臨させるの。
嫌いな安易なツッコミワードの中の1つの、「誰やねん」ってやつ
そういうお人形さんにこそ、浴びせたもれと思う。
好きにすりゃいいけど。